文化

太平洋戦争中の重要な証言

昨日何気なく話されたことが、以外と大切な 証言だと思いましたので書きます。 たまたま総代会でお一人が、 「一年うえの姉は、毎日おつとめを かかさなかったのに、 自分が学校にあがるころ 仏壇にまいることがなくなり、 八幡社に詣ることが日常になった。…

等正覚にいたるという和讃

親鸞は85歳にて、 夢告の和讃に始まる正像末和讃。 和讃猛烈な勢いでつくられた。 念仏の信に目覚めたものは、弥勒と同じ 等正覚にいたるという。 真実の立脚地を得たものは、 いま弥勒が迷いの衆生を救おうとして準備して おられるのと、同じ心構えを頂く…

遠来の客。

午前は法事。 部屋の掃除して法事の支度をした。 どーもいそがしくてご家族と肝心のはなしが・・・、 いろいろ話したかったのだが、 日程が押していて、 あわただしく座を去らねばならなかった。残念。 夜は、今日は新潟からいとこの旦那がはるばる来た。 も…

お寺でボーイスカウト(名古屋から)の合宿

知人のOさんが ボーイをつれて合宿に来た。 わいわい外はにぎやかだ。 お参りから帰ってしばらく してから、 して、本堂でこどもと親ごさんに 住職のおはなしタイムなので 来いとのこと。 では、ということで、 30分弱お話。 ”感謝から始まる人生!” この…

住職のある一日

現在庫裏の再建のさなか、 それも、もう終盤というところまできた。 昨日電話の移設をしたら、かけることが できなくなっている。 午前中はそのためのNTTとのやりとりで過ぎていく。 (なんとか昼食を挟んで、午後2:00には復旧。) 午後2:10から、お…

法事のあとの会食にて

N氏宅の法要のあと、御非時の際、 いろんな話がはずんだ。 ひとつひとつ大切な問題提起がある。 ただ、落ち着いて話をする時間もない。 また次々に話題が変わるということもあって、 中途半端に終わってしまった。すこし こころのこりだった。 このような問…

死者儀礼を何故行うのか?

お念仏の謂われを聞き開くことは、普段の聞法 が大切。それは自分にとっても同様だ。 その一点を明らかにしていくことが法要を勤める 核心だ。 だが、御門徒の法事は念仏のおみのりを相続してい くということがはっきりしないままとり行われるこ とが多くな…

大浜騒動2−0 再開にあたって、

こんどは一番事件の中心にいた石川台嶺師の日記 を読みたいと思っている。 宗教という言葉もない時代、 お念仏の信心に初めて自己を見いだしたひとたち。 その純一なありかたは、 いまの自分とはあまりにかけ離れていると思える。 だが、 なぜ、強く訴えかけ…

大浜騒動1-8 資料を読む 付録 服部純より藩庁宛報告書

▲「資料 大浜騒動」(同朋大学仏教文化研究所・殉教記念会 編 貴重なる資料集が編纂されたので、1-1〜1-8まで掲載分はここから 引用した。) 服部氏が遺した文書を読む最後に、氏が所属する藩への報告書を付 け加えたい。彼の意志が素直に表明されていると考…

大浜騒動1-7 章の終わりに・少参事服部純答弁書を読む

▲服部純が赴任した大浜陣屋の図 ・服部純氏は、 寺院統廃合をすすめるにあたり、前もって僧らに回答を 求めた。 これが事件の発端となったのである。 この件についての藩へ答弁書の冒頭は、 「右合併の儀は、この地の民俗僻仏の風習にて、容易に 施行いたし…

大浜騒動1-6 資料を読む 続・少参事服部純答弁書 から

続いて、服部氏の所属する菊間藩への答弁書から 引用する。 赴任した彼に、 着任地の人々がどのように見えていたのか。 それがよく表れている一文である。 「当地は固陋(見聞が狭くて頑なであること) の風習旧を慕い、新を嫌ひ、御維新の御趣意も貫通 いた…

大浜騒動1-5 資料を読む 少参事服部純答弁書 から

▲碧南市新川小学校蔵 服部氏自筆 熱き改革の志をもって、三河に赴任した役人服部純氏の 事件後の答弁書。 ・服部純氏が行ったこと 先ず、赴任地の子どもたちに教育をほどこした。 新民序・新民塾をもうけて、8歳から16歳までに限って、 算筆・五倫の道を…

大浜騒動1-4 資料を読む 序

服部純は、旧菊間藩大浜出張所(現在の愛知県碧南市を中心に する地域を所轄する役場)に明治3年に赴任した若い意欲あ ふれる役人であった。 国学を学び、明治維新政府の方針を革新的政策として熱心 に実現しようとしていた。 三河は真宗繁盛の地である。そ…

大浜騒動1-3 廃仏はどのようにすすめられたか? 

維新政府の打ち出した、神仏分離の政策に対して、 真宗門徒のみひとり、何故激しく抵抗をしめしたのか? そのころ押し進められた政策の暴虐性とそれに対応した真宗 門徒の姿をよく伝えていると思われるので、大浜騒動以外の 一つの事例を紹介したい。 廃仏毀…

大浜騒動1-2 若き僧29歳で斬首!年表

▲台嶺さん肖像 1868(明治元)年 3月 神仏分離令が出される。 同 各地で廃仏が行われる。 1867(明治2)年 2月 三河護法会が結成される。 (若手真宗僧らが耶蘇対策 や仏教研鑽を目的に結成。) 1870(明治3)年 7月 大浜出張所に長官とし…

大浜騒動1-1

郷土西尾の歴史 大浜騒動(鷲塚騒動)について書いてみたい。維新期の不安定な政情のなか、この三河の地 で起きた事件である。 現在まで、決して忘れ去ってはならない意味 を持ち続けていると思う。 真宗門徒が培ってきた、信仰を中心にした 伝統や生活が破壊…

"老人介護"という場所

午前中、お参りに行って、 勤行をすませた後、お茶を頂きながら、 若い元気はつらつな、福祉介護士さんの お嬢さんのおはなしを聞いた。 (介護施設での様子を写した写真を見せてくれた のだ。いい写真だった。) ほんとうに、にこやかないい笑顔だった。 お…

愛国心について

朝日新聞の連載で「わたしと愛国」の最終回分から キリヌキ。 室井佑月さんの談話があった。若い世代もしっかり 考えていると思った。ここに記録しておきたい。そ こで、記事の一部分を抜粋して掲載した。 政治を執り行う側の人。この国を心配していると 思…

最北の村(北緯78度)から

朝日新聞の記事。 北極圏に (ちなみにこの緯度は南極の昭和基地と 同じだそうです。) 30年暮らす大島さんの言葉。 「買うと余計なことをしなくてはならず、 自分の時間が消えていく。 まるで何かに操られているようだ。」 大島さんや村の狩人たちは、大…