法事のあとの会食にて

N氏宅の法要のあと、御非時の際、
いろんな話がはずんだ。
ひとつひとつ大切な問題提起がある。
ただ、落ち着いて話をする時間もない。
また次々に話題が変わるということもあって、
中途半端に終わってしまった。すこし
こころのこりだった。
このような問題がだされたときこそ、
御檀家の気持ちがわかり、こちらの思い
も伝えることができる機会だからだ。


そのおり、法事はなぜ勤めるの?という
ことが話題の一つとして出てきた。
意味も分からずに漫然と子らに伝えたく
はない。と、N氏は仰った。
このような問を待っていたのだ!
このような問との応答を繰り返してこそ
本来の法事となっていく。

今日の法事はこのように行った。


お経の間の休憩に「人身受け難し」の文から、
願って受けた人身と知れば、真に積極的な生き方
に転換すること等を話す。
(10分ほど)と、「末代無智」のお文のお話。
箸にも棒にも掛からない、末法の悪人なるもの
を、呼び声という方法で呼び出すおみのりのみが
真に私を生かすものであることを話す。
(20分ほど)をした。
念仏の信心によってあとを継ぐ子や孫が、尊い
人生を完成することが故人から願われていると
結んだ。