大浜騒動1-6 資料を読む 続・少参事服部純答弁書 から

続いて、服部氏の所属する菊間藩への答弁書から
引用する。


赴任した彼に、
着任地の人々がどのように見えていたのか。
それがよく表れている一文である。

「当地は固陋(見聞が狭くて頑なであること)
の風習旧を慕い、新を嫌ひ、御維新の御趣意も貫通
いたしかね候、不都合のこと多く候あいだ・・・」

若き官吏の目には、
僧と深くむすびついた土地の人々は、新時代の到来
を理解できない愚かな人々と映ったようだ。


念仏を称え、寺に寄り合い聴聞する人々の生活がそ
こに続けられていたのだ。
その人々を彼は「土人」と呼んでいるが、念仏と
なえる人々はまさに呪文を唱える土人に見えたのか
もしれない。


しかし、念仏は呪文ではない。
何故私は人として生まれたのか。
親が勝手に生んだからか。
現代人はそう考えるよりしかたないかも知れない。
何故ここに生を受けたのか?
完全な空白があり、これを埋めることは出来ない。
仏教徒にはここに、広大ないのちの物語があった。
素朴ないのちの物語。それは、
私自身に生まれる原因があると教えてきたのだ。
仏様の教えになんとか、出会いたいという願いが原因であったという。
その願いそれがかなえられる希少な
チャンスとして、人の生を望んできた。
それがやっと今、叶えられたのだ。
だから、このいのちを頂いたことを感謝して、
仏法を日々聴聞し、ほとけに育てられる生活。
まさに如来内存在としての自己を見いだすのだ。


念仏は、そういう自己を発見し、日々生きること。
念仏なくして自分というものもいない。
ほんとうの意味での親も兄弟も友もいない。
人間社会も、存在しない。
念仏がなければ、自己を見失い、他人の評価などで
傲慢になったり劣等感にさいなまされたり、
不安や絶望の荒波のなかでこなごなになって、
ただ生きるだけで、
無意味な人生を生きざるをえないものとなってしまう。

明治維新神仏分離政策は、

人が人として生きるうえで不可欠としてきたものの
意味を理解しようとしない、それを軽蔑していた、

役人の手によって、
いとも簡単に破壊するところから始まった
のである。
この答弁書は、役人の側からまさにそのことを証言している。