"仏教は社会への関心がなさ過ぎる"という指摘

たまたまブログ検索をしていたら、
朝日新聞の記者がこのような問題を
提起していた。
 還相回向ということをあまり語ら
ない仏教教団という指摘だ。大事な事柄をさけて
いるのかもしれないと確かに思う。
 もちろん私自身にも突きつけられて
いる
問いでもある。(以下にその一部を引用
する。)

宗教界を回ってみて、キリスト教に比べて、伝統仏教は社会や民衆に対しての関心がなさ過ぎる、と思った。

還相回向」を再解釈することは現世とのつながりを持つ点で大きな前進となる。

(中略)

あの世から死者が幽霊のように舞い戻って子孫を励ます、といった「還相」理解からは先祖供養や呪術や口寄せしか生まれない。そうではなくて、生きていながら絶望の極に向かうこと、「よし」と虚無を受け入れることが、私の解釈する「往相」である。その悲しみの「現世浄土」、一瞬の「神の国」から思い直して、つまり一度は死んだつもりになって、また穢土の生活に還ってくる。それが「還相」と考えられないか。そうであれば、たとえば、学校教育や社会福祉平和運動やカルト対策も、いや、日々の生業(なりわい)の意味さえも、新しく組み立てられるかもしれない。この穢土で、死んだ気になって、名誉も損得も関係なく、人間としての責任を果たしていく。恐れることなく、真に自由な活動する。そういう解釈であってほしいのである。
(すがわらのぶお・朝日新聞記者)

「そういう解釈であってほしいのである」というその視点が、
現代に仏教をよみがえらせる鍵なのかもしれない、と思って
読んだのである。






http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/kaken2002/C04.pdf