浄土 考

午後T氏来寺。歓談す。
刺激を受けて、
浄土への想念が湧く。
T氏曰く、
年輩者となれば、
あとの人びとのためによかれと
自分を無にして尽くすことが出来る
ようになるのではないか、と。


そうだね、
人間一度は
そんな純粋を生きたいと願う。
しかし、歳をとると、
かえって我をはったり、
自分の功績を自慢したり・・・、
なんてこともありそう。


浄土のはたらきを頂くものは、
その記名性によって、
忘れ去られる心配はない。
だからもう忘れないでと、自らの
功績を訴える必要もなく、
恩をうるというさもしいこころに
生きることもない。


お浄土のはたらきがあってこそ、
人間の自律がなりたつのではないか。
人間から真の主体性・自律をうばう
ものはちっぽけな功績にこだわる心
なのだろう。
その心は相当執念深く、命をそこない
大切なものを失うことになる。
純粋を希求しつつ、それを阻害するもの。
克服するには相当手強い相手なのだ。