月にどうしてウサギのすがたが、

寝付けぬとき、子供用のブッダ物語をよむ。
奥行きがあって、すばらしい表現。
いま読んでも感銘深いものだ。
特にブッダが魔を退ける段や、
悟りの内容を五人
の修行僧に説くことを決意するに到るところ。

その本の冒頭に、あのなつかしい、
ブッダの前生の物語がある。
あまりによく知られた物語だが、
ちょっとかっこよすぎるというか、
その自己犠牲が気に引っかかっていたもの。
だが、それは自己犠牲ではなく、
ブッダの生が、ブッダ自身のために歩まれたものではなく、
この迷いの私の生のために捧げられてあることを
表す。
自己犠牲のかっこよい物語ではなかったのだ、
と今しがた気付いた。
だからいま、その物語を懐かしみながら、書き取ることに
する。



あるときブッダは、ウサギとなって生まれた。
森のなかには、ウサギのほかにサル、ヤマ犬、カワウソが
すんでいた。はらをすかせて森の中にやってきた一人の
バラモンが食べ物を乞うて歩いた。サル、ヤマ犬、カワウソ達
は、前日集めておいたえさを彼に差し出したが、ウサギは
なにも持ち合わせていなかったので、つぎのように言った。
「薪を集めて火をおこしてください。私が火のなかに飛び込み
ますから、焼けたら私の肉を食べてください。」
バラモンが火をおこすと、ウサギはことばどおり、火のなかに
飛び込んだが、火は毛穴一つ焼くことができなかった。
バラモンは実は帝釈天の仮の姿で・・・。
とその尊い精神をたたえて月にその姿を写した。



ブッダの生が投げ出された方向には、箸にも棒にも掛からない
どうしようもないこの私にむかっていた。