「死」について
Fにて、冷めたコーヒーを飲みながら死について語る。
人は、他人の葬儀から帰って行くとき、
いつもより、いきいきとしてみえるのは何故だろう?
おのおの種々の関係をもって葬儀に参列する。
そういう形で、他人の死に立ち会う。
身近な人の死、友だちの、そして少し疎遠な人の死。
そのかなしみは当然、深いものから浅いものまで、いろいろだ。
だが、一様に帰っていくときいきいきとしていないか?なぜだ!
人の死から、人生の無常を学ぶこともあるかもしれないが、
もっとじかに感得するものがあるように思うのだ。
あのひとは死んだが、「自分はいま、現に生きているんだ」と。
日常より強烈に「生」を感じるからなのではないか。
だから・・・