真宗の戒・定・慧

真宗は無戒だというけれど、
真宗だって戒を考えてみてもよいのではないかと
思う。



戒を、よい習慣と捉えれば、
良い生活の様式。
真宗門徒は本来
洗練された生活の
様式美のようなものを
持っていたのではなか。
その復元を期す。


一日の始まりを仏さまのまえに
座ることとからはじめよう。


こうしてて与えられた生を
当たり前だとしてしまう
傲慢なこころを見直し、
その傲慢から生まれる
怠惰さから遠ざける。

そして、
きょうのかけがえのないときを
どう生きるべきかを思う。


何でもない日常であっても
その出会ったことや
為すべき仕事にこころを込めて行う。
仕事を愛し
より洗練された技能を生み出す。
そこに創造していく喜びがある。

定は、
ここに生きてあることを当たり前に思うのではなく

いまここにあること大切に思うところに
自らを心を住まわせよう。




慧は、


思い通りにならないこと
へのいらだちから解放し、
人生に起こる種々の問題
から自分のありかたや
他との関係性を見直し
閉ざされた自己から
解放された自己へと開いていく。





智慧のイメージ化すると
ユーモラス
柔らか、みずみずしさ
自由、幸・不幸からの自由

といったところだろうか。

真実信心のすがたである。