名古屋大須の町を生き返らせた原氏講演

大須シャッター街になってしまった30年まえ
活気をとりもどそうと動いたかた。


わたし自身は、
町おこしといわれているものにはあまり興味はない。
それより氏の
まつりについてのコメントに注目。
氏のことばとは違うが
ハレとケその二つの世界をもつことの大切さを
言われているのではないかと受け取った。


仏教ではまつりとは言わないが、
報恩講などの法要だ。
丁寧に荘厳し
そこにおまりするひとの心は、
ハレの日。厳粛さとわくわくした高揚感
楽しさなど入り交じっている。


ほとけさまから
その全身全霊をかけてたいせつにせよという
願いがかけられた我が身。
ひとりひとりがそのような存在であることを実感する場
が法要の空間だ。


社会にでれば、地位やらやら財産やら・・
またいろんな規則やらでひとと人は分断されている。
だがそれは、社会を動かすために仮にたてられたも
のだ。


宗教を軽んじたために、仮のものを実体化すると、
わたしたちは蜘蛛の糸に絡め取られるように束縛のなか
を生きねばならなくなる。
学歴の有無、能力やら、


仮のものを実体化しないことが
互いに信頼しあい、ゆたかな気持ちで生きるうえで
必須のものなのだ。
真と仮。仮の価値観をいきるなか。
そこで耐え難い苦しみも実体化しない。
人と人とををへだてる価値観も実体化しないですむ。
日常と非日常を行き来し、その非日常はまた
日常のなかをいきる中を貫いている。

原氏のおはなしのなかにすこしそのようなにおい
を感じた。