読書 曽我量深選集

ひさしくゆっくり机の前に
すわることもなかった。
今日は午後から留守番。
来客一人あり。
また電話で来客予定御一人あり。
雑談後読書でもと・・。
敬遠していた「曽我量深選集」
を開く。


・他力回向ということ
・信心の智慧とは知恩のこと

この二点についてはっとした
ので書きとどめておく。


曽我量深選集

他力回向ということは別段の教理である
などというかも知れんけれども、要するに
心から仏恩報謝の念を以て有難いと仏の前
に頭がさがる道理、
法の前に自力無効と機の頭が下がる、法を
機が戴くのであると、こういうことになる。
それが他力回向の道理である。
回向ということは理屈でも何でもない。
ただわれわれが本当に有難いというところ
(中略)
「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえ
しめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩
報ずる身とはなれ」
信心の智慧とは知恩のことです。唯この知
恩によってこそ仏恩報ずる身となる。
仏恩の深重なることを信知してこそ報恩の
行を智慧の念仏と呼ぶのである。
如来は智・断・恩の三徳をもっておいでに
なるが、われわれが直ちに感ずるのは恩徳
であります。他力というのは恩徳の感知の
表明であります。仏恩の深廣なるを知るの
でありましょう。それ以外には何もないで
しょう。

教理を組織することもあろうが、教理を組織
することが目的ではない。仏恩の深廣なるを
知る。それ以外になにもない、と結ぶ。印象
的なところだ。