お寺で法事-K家法事次第メモ

あさ早く月参りへ、
安城なのだが一軒無事終えて、
もう一軒お詣りに、
だが、お留守。ああ。
そして家に引き返す。
寺で法事。
ちょうど職人まつりで境内は人が集まってきていた。
騒がしいなか法事を始める。


<法事次第メモ>
はじめに法事の意味、
お経の意味解説のさわりの部分をのべて
お経の中身を知らずしてはあまりにも勿体ないと
もうして読経。
小休止のあと読経。


正信偈唱和のまえに、


このあいだブログでであった学生のレポートから、
子どもが大事にされた江戸時代と現代との違い。
子ども時代に死んでしまうことが多かった江戸時代は
生きているだけでもスゴイことだった。
生きていることが当たり前のように思い出すと子どもに
いろんな注文をする現代。
だが今ここにあることのすごさは変わらない。
いまうけたものの器(生)の尊さから始まる。
つまらないものはその器から捨てていき、大切にしなければ
ならないものへ向かう。勉強だって、本物はそこから始まる。
自由であること等々話す。


正信偈唱和のあと、
縁起と無我についてブータンのテレビ番組を
ひいて話す。支え合うこと、有無のとらわれから
自由であること。それは今の和讃にある。


お文の末代無智の無知とは支え合ってなりたっていることを
忘れている傲慢な姿。
そこからは自分だけを成り上がらせるたいというせこい
考えしが出てこない。これは他人を切り刻み自分をも
傷つける考えだ。
だから、即生の事実に立ち返れと呼ぶ。そこからはじめて
ひとをも生かし、自分も豊かに育てようとする仏の大地
に根を持つ考えが芽吹く。これを救いといっているのでは
ないか。


その後、内田氏の正しい故人を遇する方法を紹介。お文から
それを一歩すすめなければならないkとを説く。
本当の供養とは(供養という言葉を使えば)遺された人々が、

真実信心に預かり、大切の尊い姿で生きていること。


お寺で法事:今日のお膳