否定的にみていた法要が・・

納骨堂の法要。
どうも学生時代から、このような
法要に意味があるのかなんて、
否定的なおもいがあった。


だが、肉親とのかなしい別れを持つ
人々が一堂に会して
正信偈を唱和するってのはよいものだなと、
とふと思ったのだ。


我が家のお墓といって、
他をわけるのではなく、
合葬する寺にあつまり
そこに漂う雰囲気は、
その悲しみをともにし
て集まった人々の暖かさかな。


そこで共に、御文を拝読し
説教を聴聞する。
ゆったりとして、なんともいえぬ
静かな時が流れている。