一色にて、台嶺さんの会議あり

石川台嶺師は
明治維新のときに、
廃仏毀釈神仏分離などの宗教政策
のながれに抗して斬首された
若き僧である。


となりの碧南市大浜にあったの菊間藩陣屋
に派遣された役人が寺院統廃合と神前祝詞
強要などを進め、国家神道に準じた教育改革
を推し薦めた。


門徒の生活は、
念仏申し、日々仏法聴聞するもの。
それを子どもの教育から変えていくのもである。
そして、地域のつながりの中心にあった寺院の
統廃合である。


真宗存亡の危機と捉えざるをえないものだ。
ここで立ち上がったのが、台嶺さんら護法会
の若き僧等だった。


このときから、数度の戦争をとおして宗教は
国家に遣われ、その本来の働きを失っていくこと
になる。
わたしたちの心を養い、人と人の信頼や
助け合うという社会基盤を養ってきた仏教が、
私的なものとして、社会を成り立たせる大切
な役割からはずされていった。


宗教がどのように、国によってゆがめられていったのか
その検証をするのであれば、台嶺さんのこの事件はこと
の一番始まりにおこった重要なものなのである。


仏教教団がもしも、この社会のなかで如何なる姿をもって
いるかを知り、これから立ち上がろうとするなら避けて
とおれない検証作業なのだとおもうのだが。逆に如何なる
威勢のよい信仰活動でもこの検証が欠けていれば地に足
のつかないものとなる。