じんせい

いろいろいっているが、
まず仕事には感謝している。
このような人間が住職として
やっていけるということ自体に。
そして

実際の仕事の内容も、
法事は、
法話を考えたりするのはおもしろい。
やりがいもあるし喜びもある。
まあ、お寺のあり方とかには
たしかに大きな問題がるとは思う。
だが、それをすこしでもよくしようというのも
やりがいのうちだ。


しかし、人生これで
すぎていってよいかというと、
なにかがのこるな。
まだ親鸞のあきらかにした信心が
はっきりしていないというところだろう。
いろいろなかたの教えを聞いてきた。
そのときの感動もあったのに、
そのうすかわいちまいというところが
はっきりしない。


おおきな疑問のかたまりにむかって生きる。
この疑問がなければ、人生は
お経を読み、お布施を頂き、飯をくい
ときには、おしゃべりなどに気をはらすこと等々をしながら
まるで心は死人のように生きることのなってしまう
のかもしれない。
おおきな疑問のかたまりに向かって生きよ。