死者との対話

死者との対話といっても
三輪某氏等が言っているごときスピリチュアル
なはなしではない。
そんなあるのかないのかわからないような
おはなしではない。
そうでななくて、もっと自然に、
私たちは死者との対話をしている。
先に逝った親父、そのまえの・・と、
人間だけが、死んだらおしまい
ではなく、
死後も死者に語りかけ、
語りかけられる。
そいうした中で、
身近に、

仏道を歩んだ人々からの語りかけを聞く。
そんなふうに今日月参りときに読んだ文
をうけとめたので、
ここに紹介する。まるで先祖たちから
わたしに語りかけてくるように。



ひそかにおもんみれば、人身うけがたく仏法あひがたし。
しかるにいま、片州なれども人身をうけ、末代なれども
仏教にあへり。
生死をはなれて仏果にいたらんこと、いままさしくこれ
ときなり。このたびつとめずして、もし三途にかへりなば、
まことに宝の山に入りて、手をむなしくしてかへらんがごとし。
なかんづくに、無常のかなしみはまなこのまえにみてり、
ひとりとしてもたれかのがるべき。三悪の火坑は足のしたにあり、
仏法を行ぜずはいかでかまぬかれん。みなひとこころを同じくして、
ねんごろに仏道をもとむべし。
                「持名鈔」