ブッダいわく、

昨日の仏伝のなかに、
ブッダはさとりを開いて、それを
語ってもだれも理解できないだろうと
思われたという一節がある。
そして梵天の勧めにより、
「少しは理解するものがあるだろう」
という非常に悲観的な思いで、説くことを
始めた。
だが、理解できるとおもっていた、
最初に出家した5人の友からも、
3回にわたって拒否されたのだ。
しかし、一人悟り、また・・・と
悟るものの輪が広がっていったのだった。



近くはお文に、易往無人(往きやすくして人なし)と
大経の文を引用し、お経にも度々難信の法とでてくる。
正しい、良い教えならはやるはずというのは、常識?
しかし私たちはけっして、本当のものを求めようとし
ない。そんな箸にも棒にもかからんものをすくわんとす
るのにブッダは気の遠くなるようなご苦労をされること
になる。