NHKに賠償命令の記事があった

すこしゆっくりして
新聞を読む時間が出来た。
たまにおもしろい記事が
ある。

ほんのすこし(なんだけれど最近少しパーセントが
あがったかな)
それは、文化欄などで見つけることが多い。
(きょうは、朝日朝刊のアーサー ビナードの、
国益のため」という言葉は、「一部のひとの利益のため
にみんなをこき使うための口実だ」
という意見に頷く。そういえば美しい国とか、国家社会
のためという言葉もよく政治家は使っている。
それらの言葉も、なにか胡散臭いのだ。)


サッとニュース欄5分ほど
で読み飛ばし、
おもしろそうな論説や投稿記事と15分くらい
で読む。


そんなふうに全体を観てえらぶことができるしんぶん
はいい。
それにたいしてテレビは見始めると
時間をとる、いい加減にしてやめないとと思いつつ
ああつまらなかったということが多い。
期待が裏切られること多し。いまだにテレビをうまく
使いこなしていない。


そこできょうの新聞記事。
作り手がその気(まっとうなことを伝えようという
気概、または考える時間)がない。
放送や新聞にはそんな雰囲気が漂っている。


NHKであろうが新聞であろうが、
政治家におもねるのはあたりまえ、企業などにまかれなけ
ればやってけない。のかも知れない。
放送に気概なんかもってやっておれん。のかも。
だからなのか、番組はつまらなくなっている。


でも、そのなかで気概をもっているひともすくないだろう。
瓦礫のなかのダイヤモンドのように、
そんな人々がつくったほんのわすかな作品を見逃さないように
するには
どうしたらいいんだ?観たいんだよいい作品、よい報道を!

ほんとに数がすくない。だからこそ、よい番組で出会ったら・・・
そこであらたなテレビの見方。
瓦礫のなかでダイヤをみつけたような感動が、
そこにある!
そういう楽しみ方があるのかも。