「ねがいがかなってやっと生まれた」

(ということについて、一昨日の続き。)
生きていくには、つらいことがたくさんあるし、
なんでこの人生を得たいとねがったのか?
「仏となる、ただそのためだ。」
と示して、この世にお出ましになったお釈迦さま。


「いかされている」という表現は、生のある一側面を
あらわすことは出来る。だが、
それだけだと大事な部分が抜け落ちる。積極的な側面、
そういう生きる主体という面が出てこないのではなからろうか。