イベントはなんのためにやるのだ

蓮如みちの反省を終えて)
それをすることが楽しいから、でもいい。
逆に苦しいが、なにか呼びかけたいものが
あるからやりぬこうでもいい。
そういうものがぬけて、
行事だけが続けられていくのは
どうもつまらない。
掛け替えのないときといいつつ
なにか浪費しているような気配がある。
そうは言っても、
”カルチャーウォーク蓮如みち”は
その歩く部分は捨てたものではないと思う。
まずコースがよい。全国に誇るべきものだ。
そして、
歩きながらいろなな話しがあり出会いもあるのだ。


これは寺の集合体でおこなっていること。


では末寺である、この場ではどんなふうに
イベントをすべきか?
これまでもいろいろなものをおこなってきた。
これからもやるだろう。
それは、
法要とは違って
自由で創造的で、純粋に能動的なもの。

その場でいろんなひとが出会うこと。
交流だろう。
シンプルでダイレクトな動機または
目的がよい。
あの人がきてほしい。
こんな出会いの場を用意したい。
そんなふうにイベントを構想したい
いろんな心配もあってもわくわくしながら。