農園について考える

今日名古屋へ、

愛知県主催の、
団塊世代の社会参加(?だったか定かではない)
というようなテーマで、
種々の活動の発表があり
I氏、M氏、S氏とともに聴講に行った。


名古屋近郊で、
まさに楽農園のような活動が
行われているのだ。
きっと全国的にも、このようなものの
大きな広がりがあるのだろう。


農園の活動はいろんな可能性を持つ。
世代をこえた
なかまづくり、地域のつながり作り、
子どもの教育、障害者の社会復帰の一つの
ステップに、
デイケア支援、食育、等々



日進市の人々がこの半年間やった
活動形態と目指すものは、まさに楽農園のこれまで
数年かけてやってきたことそのもの。
(同じ事しか考えつかないものなのか、
もっとちがいがあってもいいのにと
思ったほどだ。)


活動形態や社会参加の目的や方法はだれが
考えても
こういうものになってしまうのだろう。
だから、発想そのものに特別の価値が
あるわけではない。
なにを目指し、どんな活動であってもよい。



そのなかみは、
農作業とそれによって育まれる
人とひととのつながりだ。
作物が育ちそれをを食す。
そのことに瑞々しい喜びがある。
畑で何気なくかわす会話が楽しい。
何もしてなくても、はたけでボーッと
していても心がなごむ。
そんなふうにして、
ひととのつながりが育まれていく。

それは、
ゆったりとした時間を必要とすること。

こういう一番大事なところは、このような発表では
どうもよく伝わらないのだ。

行政側からは、評価できない部分だから
だろうか。

そこで一言、
そんなに効果を急いで追わないで、