明治の人に学ぶ 田中長嶺 講演 中條長昭氏

坂の上の雲

毎日テレビでながされている。
よほど力をいれて作っている
らしい。



いまなぜ
明治のあの時代なのか。
司馬遼太郎の本には書いて
あるのだろう。



読んだことがないので
それはわからないが、
今の私たちが生きている今を
もう一度見直す手がかり
がほしいということも
あるのではあるまいか。


いま、明治をとおして
現代の社会がかたちづくられてきた。
しかし、我々はどこにいるのか。
なにか大事なものを喪失しているような
感覚があるからではないか。


今日、報恩講
田中長嶺さんの話を中條先生が
話してくださった。



やはり明治の後半に活躍された
田中長嶺さんの業績をとおして
どのように
この近代日本をつくってきたのか
そのような
ことを教えて下さる
講演だった。


貧しいく過酷な農山村の生活を
なんとかしたいという思いをもって
一身を投じたかた。
彼には人々に尽そうとする志があった。
そういう志が、
社会を形作る基盤にあったのだ。


念仏こそその用き(はたらき)の原点を
あらわす。
そういう意味では
念仏は
人間として、尊い世界を
成り立たせる本(基)だ。
そういう意味を
ひとが見失って久しい。明治の神仏分離以降だろう。
だがひとびとは、明治人はそれしばらくは
たもちつづけてきた。それが田中長嶺さんや
司馬遼太郎が取り上げた「坂の上の雲」の)秋山兄弟
だったかもしれない。


現在も人々のこころ奥底にねむっていて
なかなか発現できないでいるものがそこに
表されているように思った。