浄土

毎夕内仏のおゆうじ
で読んでいる
願生偈に、
浄土とは、
「三界の道に勝過せり
究竟して虚空のごとく
広大にして辺際なし・・」
とある。


死んでからいくところか、
本当にそんなとこあるのか、
なんて言われるることがある。
そうではない。
ただ死んでからの世界ではない。
あるかないかわからない世界でもない。


真実を悟ったかたから
その真実の世界を
迷いの存在にとどけるための
表現なのだ。


「辺際なし」
とある。
我々迷いの存在は辺際ある世界を生きる。
周辺と中心がある世界だ。
鳩山さんが総理になって中心におかれると
すみっこに地方の市長さんがおかれ、
肩書きのあるひとが中心におかれると
肩書きのないひとは隅っこでおりばがない
ということになる。


だが、真実をさとった方からみれば
誰もが世界の中心にある。
それが辺際がないということだ。
私の人生にとっても、
若い元気のある一日が価値が多く
年をとりリタイアしした一日が軽くなるように思う。
それも悟った方からみると違う。
同じ重さを持っている。


思い通りになり楽しいときを大切にし
思い通りにならなくて辛いときを否定しようとする。
ほんとうは両方とも大切なときだ。


そのようなことを浄土は辺際なしと教えて
いるのではないか。