殉教法要 葵町にて

若き僧 台嶺師が
当時西尾城獄舎であったこの場所で
岡崎で判決が出され、即刻
西尾に移送され、暁に斬首。



明治維新期の性急な数々の政策
のなかに、真宗が築いていた信仰
共同体を壊していく要素が強く
含まれていた。
 それに敏感に反応し立ち上がっ
たた当時の真宗門徒たち。
そのなかで菊間藩の役人が落命
した。その責任を取らされて
台嶺師や法沢師や僧
と榊原喜代七御同行等がとらえ
られ処刑または獄死している。


明治初期の短期間におきた事件だが、
菊間藩がおこなった神道に重きを
おいた教育にまでわたる政策は、
その後政府によって、
国家神道政策は押し進められた。
それはとくに
太平洋戦争時には国民の精神を
しばるのに猛威をふるうことに
なる。そして、
現在にまでわたしたちのこころの
ありかたに深く影響を及ぼしている。