曽我量深師のことば

先日の池田師の法話で紹介された
曽我師の言葉。
それを
本などでなんども読んだりして知っている
なと思って
書きとめなかったのだが、
意味深いことばとして蘇ってきた。


以下池田師の講義のなかで紹介された言葉である。
曽我師に
あるひとが
「わたしは幸せです」と言われた。
すると曽我師曰く
浄土真宗は幸せになるおしえでしょうか?
 しあわせ不要になる教えです」
とこたえられたという。
信心とは、真実主体を賜ること。
幸せになりたい、思い通りになって幸せ
思い通りにならないと苦しむ。
そうして、
幸不幸に振りまわされるのが私たちの日常。
不幸だとおもえば境遇を恨み
ひとを恨む心に生きる。
それではいつも状況に振り回されることになる。


教えに出会い、それを鏡として
己の姿を知れば
只自己中心的なわがままな
すがたに気づく。
それをはずかしいものと気づく。

その慚愧のこころは
もはや、
以前の幸不幸に振り回される自己ではない。
そこに真実主体を賜る。