葬儀考

ひとの死に立ち会いながら思うこと。


「死」についてはよく言われているように、
いうまでもなく自分の死は体験できない。
体験したときは死んでいるから。
三者の死もニュースとして聞くほどのもの
で死そのものと対面するわけではない。
死は「汝」の死として
対面することになる。


だから葬儀にとっても、
そのひとの社会的な地位のあるなしも、
たくさんの会葬者が参列した葬式があっても、
少ない葬式であっても、
葬儀そのものの意味とそのひとの死になにも
関わり合いのないものと言ってよい。
私とあんたの関係において、が重要なのだ。
どれほどふかく、どのようなつながりが
あったか。そのひとびととの別れが
それが葬儀の中心なのだ。
いうまでもないようなことなのだけれど、