四季おりおりの行事

お寺では、季節がめぐってくると
きまってやる行事がある。その
ひとつ春の彼岸会を無事終える
ことができた。
ほっとする気分もある。
やり終えた爽快感もある。
が、彼岸会自体が、なかなか
味わい深いものだと思うようになった。


世間から見れば、この一日はなにも生産しない
無駄としか思えないのかもしれない。
ただ念仏し、仏法聴聞し、語り合い
ゆったりとした時間がそこに流れる。
これがなんともいえない貴重なものだと
感じてきたのだ。


生産性とは対極にある時空間である。
生産性に追われ、競争に明け暮れるだけ
で一生がおわってしまったら、
なんとも味気ないだろう。
そんな日常から抜け出るような一日。
なんともこの日本では希な時の過ごし方
をしていると思うのである。