死んだひとは阿弥陀様になるのでしょうか?

正信偈の会で、
南無阿弥陀仏が帰命無量寿如来と漢訳されているという
ところでこのような話が出た。
無量寿ということは、どのようなことなのだろう。
無量寿、けっして滅びることのないいのちとは?


「たとえば、あなたが子や孫へ深い愛情で接したとしよう。」
そのことでいきる力を得た子や孫は、
おばあちゃんから感じた暖かな気持ち、生きる勇気を
もらったことを思い出すと、
またその子の周りのひとへその心を注ぐ。
そのことが連鎖すると、
一度深くその子の接したおばあちゃんの心は決して
滅びることはないだろう。
それが寿命をたもつということだと考える。
肉身の命をながくたもつということではない。


でも、私たちからは、無私で深い心はでてこない。
私たちのこころはどこまで行っても浅い。我をはる自分中心
のこころしかない。どこまでも自分の都合に執着する濁りを
持っている。
仏さまのこころに接して、
その浅さや濁りに気付かされるのだ。
そこに滅びない、深い、純粋な仏心がはたらいている。


真に滅びないものを無量寿という。
それはブッダのこころの中心に息づいていた
そのもの。
亡き人が南無阿弥陀仏御名を聞き、ほけさまの用きを頂いて、
生きる。その生き方自ずとはひろやかで柔らかで、
人々のなかに生き続ける。