ジャズそして・・

今晩はIへジャズを聴きにいった。
ベースのおとにしびれつつ
美酒に身をまかせて、ここちよい時をすごす。


かえり道で、
N氏の葬儀談に耳をかたむける。
突然の肉親の死にとまどいながら
必死で対応しなければならなくなる葬儀。
ホールで行われる葬儀。
それが肉親をおくる方法としてふさわしいのか。
そんな疑問を持っているひとがいる。


僧侶である自分も、それには共感する部分がある。
責任もある。
30年まえ住職になった頃とは、
葬儀は大きくかわった。
当時は、
ほとんどは自宅でおこなわれ、
近所のかたが進行をになって、
たすけあいながらおこなっていた。
近所のひとが中心になって、
喪主か親族のかなしみを思いながら、
葬儀の支度をしたものだ。
だから喪主は信頼するご近所にたよっていれば
よい。ただ遺体のそばに寄り添い
お悔やみの礼を言うのみ。それが
喪主の仕事だったのだ。
家のひとは、悲しみにくれているので
周りはそのことを思いはかって、支えるというのが
大切なしきたりとして伝えられていたのだ。

そんな支え合う場面はかなしいかな捨て去られてしまった。
これはひとが生きるうえで莫大な損失。想像以上に失ったもの
は大きい。べんりさを追求した故?それにしては大きすぎる、