説教しながら、それを聴聞している自分がいる

法事で説教する。
説教しながら、話すものがそれを聞く
ということがあるなと、
とつくづく思う。

今日はそれを実感した。

話をしている内容は、

単に仏教の本や話を
紹介しているわけではないのだ。


自分がはなしながら
それを聞き
固執に閉ざされた自分を解放したり

新鮮な生の感覚をとし戻したりする。

それは、たんに日常の自分の思い
から発せられたものではなない。
日常の自分を解放するような内容をもつ。

このような体験から、
内田樹氏の他者についての
言及に親近感を持った。
そんなに親近感をもつうちに
のみこまれてしまうおそれ
あり、おっとあぶない。