「失敗を楽しむ」か、

古澤明という科学者が
テレポーテーション?
ということをやっている。

NHKで興味深い番組を
やっていた。

あたらしいコンピューターはそんな
技術に依るのだとか。


世界の最先端を行く科学者だが、
いつ追い抜かれるかわからないという。
そんな状況のなかで、世界的な学会に
成果を発表することになった。


ずっと続けていた実験がなかなか成功しない。
研究室の部下があせっている。
もう一度解体し、一からはじめる。

そうとう追いつめられた気持ちのなかで、
「失敗を楽しむ」そんな研究に対する
気持ちを語った。


そうだ、それは親鸞和讃にも通ずるものだと思った。
「失敗を楽しむ」か、
そんな境地には、真剣であり、ぎりぎりの困難なときには
ほとんどなりえないだろう。
だが、そこで、どちらに転んでもよい。
かえって失敗から学ぶものが大きいと
受けることが出来れば。そこに自由がある。
つらいけれど、たのしい。
それが生きる意味を一変させる。
これ、なにか、親鸞精神とつうずるんじゃないか、と思う。