真宗の集いが生まれたのは、

そこに、まず、
ひとを真実敬われた親鸞聖人がおられ、
その眼差しに触れて、
人々が自分自身の存在の大切さに目覚め
たってことが始まりじゃないのか。
そして、親鸞聖人のその深い心を生み
出すのは人間の努力によっては生じな
いこと。如来の、法蔵の魂に触れるよ
り他ないことを丁寧に教えて下さった
のだ。
 深くひとを認め合うつながりが教団
の源だった。そこでひとは、
 生き生きと生きる力を得ることがで
きたのだ。


 このままではながくなりそう
 なので付記で終わろう。
<付記>
Y師の紹介で、親鸞聖人がもっていた
であろう眼差しに触れることが出来た。
それはO師というかたでした。
 そこで、
 自分を誇示し、認められれば
ほくそ笑み、思い通りに認めれなけれ
ば暗くなる。それに縛られ、それだけ
で終わるような今の生き方、そんな人
生がいかにもみすぼらしいものに思え
てきた。