宗教 リテラシーの有無は問題じゃない?

1月の定例 寺カフェ。今日は、40年以上まえの講義録に、「真宗門徒は聞法を大切にしてきた伝統がある。聞法を疎かにしていると、寺詣りと神社に参るのと区別がつかなくなってしまうだろう」そんな危機感が表明されていた。まさにその予言は的中ということか。神社で家内安全無病息災などを祈るのと仏法と同じだなんて、祈っても不安から解放されることはない、迷妄のなかで苦しまざるを得ない。宗教に対するリテラシーの有無なんて話題にもならない・・・そんな感話から始まった。改めて地道に御聖教を読んでいきたいと思う。
 <今月の作業内容>鈴木大拙師の英訳正信偈の和訳を、一年間訳文をつけてきたところ、道綽の章まで一同で読みあった。全体の流れを知るのにわかりやすい文章だという感想が参加者の方からあった。